あたしにあるものは
このあたしにあるもの
写真を始めたきっかけは、6年前の富士登山でした。
登る数日前に(私にとっては)大きなカメラを買って、使い方もよく分からないまま
それを持って登りました。
わからず撮った 200枚くらいの写真を、一緒に登った仲間に見せるためにFlickrのアカウントを取得し、
公開したところ 海外からお便りを頂いたりしました。
そうして ぽつぽつと写真をする楽しさを覚えました。
ときには大きな挫折や苦しみをもたらすこともありました。でも それ以上に得るものは大きく
あまり長続きしない 多趣味で飽きっぽい性格なのに どうしてか これだけは
続いています。
6年ぶりにそれ以来の富士登山をしてきました。
今は フィルムを中心に使っているので フィルムカメラを持っていこうと思いました。
色々考えて やっぱり このとき買ったファーストカメラに落ち着きました。
デジタルは5年でゴミになるというならば
あたしはゴミをかついで山登りしました
久しぶりに向き合ううちに どんどん目が 手が カメラと一緒になっていって
最終的に800枚以上切っていました。
まだ気力も握力もあって まだまだ撮りたかった
高山病に苦しめられたけど それすら忘れてシャッターを切っていました。
途中 濃霧にまかれて見えなくなって、機材に水滴がつくのが心配で 一度ザックにしまいました。
でも 結局すぐに取り出して 片手に抱えて動き回りました。
カメラがないと 不安になりました。
こんな気持ちは 初めてでした
ゴミかもしれないあたしのカメラは 山で分身になりました。
その感覚を取り戻しただけで 少し涙が出そうでした。
レンズはタムロンからニッコールに買い換えていて
最短撮影距離が50cm(だったかな?)と5cmほど遠くなった(たしか)のが大きく
その5cmに手間どりました
それくらい感覚的に使えていたんだなーと思います。
写真は わたしにとって 自分を掘り起こす作業と
いつか前に書いたことがあります
今回は 本当に どんなにいい機材があっても
わたしにはあまり関係がなくて
フィルムかデジタルかも関係なくて
自分が楽しければ それでよくて
それに カメラがついてきてくれて
ひとつになって 助けてくれたら それがわたしのありかたなのだと
実感しました。
(こだわるときはこだわるけど)
もう6年も経つのに 腕は全く進歩してないかもしれないけれど、
これが いまのあたしにできること
周りに 批評をする人がいるわけでもなく
誰かのために撮るわけでもなく
なんて 幸せなんだろうと 心から思いました。
最近は 何を撮っていいのか分からなくて
半分投げ出していました。
なんとなく 周りにうながされるように 撮ってみたりして
写真するきもちが 切れないように だらだらつないでいたような。
それが 今回のことで あらためて ぱしっと衝撃が走ったりして
そうそう これでいいのかな いいんだな
このカメラがぶっこわれるまで使って「バーイ!」ってなるまで使うかな。
今は性能がよくて安くて軽いカメラが沢山あるけれど
手に目に馴染んだこのカメラに戻ってきてしまう いとおしくて仕方ない
(実はもう一台心からいとおしいカメラと出会ったことがあるけれど それは まだ持ってない)
言葉にするには足りなくて
とにかく
いまのあたしには
ほんとうに そう思います
山とカメラに感謝。
by luckyMay
| 2011-08-16 22:48
| 日々のこと